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2016.10.13 バイオテクノロジー科

バイオテクノロジー科の黎明期①~開講から30年~

2016年現在、バイオテクノロジー科を含め東京テクニカルカレッジの全学科は、文部科学大臣認定「職業実践専門課程」として認定され、技術を学ぶ専門学校としての位置づけられています。

今から30年半前の1986年4月、東京テクニカルカレッジ・バイオテクノロジー科は、東京都国立市に工業系専門学校初のバイオテクノロジー科として誕生しました。2016年の今年は開講30年となります。

そして小山学園は1969年の開学から47年目、もうすぐ半世紀です。1986年当時を振り返ってみましょう。

学校法人小山学園の小山秋義理事長(当時)は、21世紀を16年後に控えた1984年(昭和59年)ごろ、これからは人口増加に伴う食糧問題が重要視されるだろうと考えていました。

また、当時は女性の社会進出が著しくなり、男女の雇用について考える時期となっていたことから、「女子の仕事」にも注目していました。1986年に「男女雇用機会均等法」施行される前夜でもありました。

そこで、小山学園の新しい学科として、食品開発や機能性食品の研究、さらには製造と品質管理に対応できる女性技術者を育成しようと女子専科の「食品科」としての企画がなされました。1985年に坂戸輝義氏(明治製菓株式会社研究所長(当時))が招聘され新学科の設立が開始されました。

1985年に作成され、陽の目を見なかった「食品科」のパンフレット 1985年に作成され、陽の目を見なかった「食品科」のパンフレット

一方、1981年から始まった東京大学理学部の和田昭允教授が打ち出した*和田プロジェクト(下方解説)がありました。和田プロジェクトは、DNAがもつ遺伝情報(実態は塩基配列)を高速で解析する技術を開発し、ゲノム情報からヒトを見ようというもので、のちのヒトゲノムプロジェクトに繋がるものでした。

このような社会状況から遺伝子研究、さらには遺伝子の総体をみる**ゲノム研究がこれから重要になると予想されました。

そこで、食品ばかりでなく、和田プロジェクトに端を発した遺伝子・ゲノム研究も含めたバイオ技術を広く学べる学科として、女子専科の「バイオテクノロジー科」が誕生しました。坂戸輝義科長のもと蓑田泰治先生(東京大学名誉教授、東京農業大学教授、1987~1989日本農芸化学会会長)を顧問に迎え、1986年4月に東京都国立市で開講しました。

その後作成された「バイオテクノロジー科」のパンフレット(1986年)

その後作成された「バイオテクノロジー科」のパンフレット(1986年) その後作成された「バイオテクノロジー科」のパンフレット(1986年)。
当時の名称は「東京工科専門学校国立キャンパス(校舎)バイオテクノロジー科」。

 

昭和63年(1988年)カリキュラム 昭和63年(1988年)カリキュラム

食品分析に結びつく講義や実習に加え、「遺伝学」、「遺伝子工学」などの講義、遺伝子工学実験・組織培養・バイオリアクターを織り交ぜた「ニューバイオテクノロジー実験」が開講された。

顧問:蓑田泰治先生(東京大学名誉教授、東京農業大学教授、1987~1989日本農芸化学会会長)

実習風景(1年生の化学分析 1986年ごろ)

実習風景(1年生の化学分析 1986年ごろ) 実習風景(1年生の化学分析 1986年ごろ)

 

実習風景(2年生免疫化学 1989年ごろ) 実習風景(2年生免疫化学 1989年ごろ)

 

1987年ごろの講義中の風景 1987年ごろの講義中の風景

 

開学当初(1986~1988年入学の1~3期生)は女子専科で女性技術者の養成でした。2016年現在で言えば「リケジョ」です。なお、「リケジョ」は、講談社の登録商標です(登録番号第5304310号)。

1989年入学の4期生からは男子も受け入れ共学となりました。その後、現在に至るまで男女共学です。

* 和田プロジェクト:当時の科学技術庁のプロジェクトで「DNAの抽出・解析・合成技術の開発に関する研究」というものです。1981~1983年(第1期)、1984~1985年(第2期)。
これは、DNA解析の自動化装置を開発し、ヒトのゲノムの全体像を掴もうという計画でした。
日立製作所の神原秀記先生が蛍光検出装置を開発、埼玉大学工学部の伏見譲先生が蛍光を用いたDNA配列決定法を開発、これらの技術は1990年代のキャピラリー電気泳動を用いたDNAシークエンサー開発に繋がりました。
詳細は、ここをクリック(科学技術庁(当時)資料)。
Wada A.”Automated high-speed DNA sequencing” Nature 325, 771-2 (1987)

**ゲノム:今では普通に使われる「ゲノム」という用語や概念は1920年にドイツの科学者Hans Winklerが命名し、その後1930年日本の木原均によりゲノム説が提唱された。
しかし、1985年になっても「ゲノム」という用語は一般社会には浸透していなかったため、当時、遺伝子の総体とかDNA上の遺伝情報全体と言われていた。

 

学科の成果発表(1988年の学園祭にて)

1年生「細胞から遺伝子へ」自作の模型を使った解説 1年生「細胞から遺伝子へ」自作の模型を使った解説

 

2年生「2010年の世界」 2年生「2010年の世界」

2年生「2010年の世界」、今となって、実現したところもあるでしょうか?

2016年現在では、高オレイン酸大豆など遺伝子組換え技術により栄養価を高めた植物(作物)が開発されています。(ここをクリック

ゲノム編集による高GABAトマトが実用化されました。(2017年10月追記:文献はここをクリック

 

展示の準備を行う学生 展示の準備を行う学生

 

黎明期の専門学校東京テクニカルカレッジ 黎明期の専門学校東京テクニカルカレッジ

 

1986年~2004年学校案内の表紙

1986年~2004年学校案内の表紙 1986年~2004年学校案内の表紙

 

1990年頃のキャンパスフラッグ 1990年頃のキャンパスフラッグ

 

文責:大藤道衛

 

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